「生産性のないLGBT」にゲイが感じること

最近ツイッターで杉田水脈という自民党議員についてのツイートがよく流れてくるな、と思っていたら、彼女のLGBTについての発言が炎上しているそうな。

ということで、ニュースで彼女の発言を確認したところ

「子どもをつくらないLGBTは生産性がないので、税金を投入して支援することに反対」

という趣旨でした。

俺はゲイですがこの人に俺の人生を左右するほどの力はないのでこのままフーンとスルーしようかと思いました。

が。今の俺がゲイであることに悩むことなく生きていられるのは先人たちがこういう時に声をあげてたたかってきたおかげであるので、静観することになんだか罪悪感がわきました。

なので俺のブログを読んでくれている人には俺の思うことを発信しておこうと思います。

この件で頭に浮かぶのは、人間の生産性とは子どもを作ることだけなのか、そしてその生産性こそが人間の価値なのか、という疑問です。

人間は生き物ですので、種を次世代につなぐということは最優先事項のひとつでしょう。

生きること。種をつなぐこと。

それが生き物としての価値であり、生産であるということに異論ありません。

そこで種をつながないゲイなどは生産性がないと結論したとすると、もちろん不妊の人も生産性がないということになりますし、生殖できなくなった高齢者も「死を待つだけの残りクズ」ということになります。

さて、そうなのでしょうか。

俺はそうは思いません。

人間は生き物ですが、社会を持つ生き物です。

社会をきずき、経済を持ったことで人間は爆発的に数を増やしているのではないですか。つまり、社会的に生きるということが、肉体的に強靭になり一人一人が強い生殖能力を持つことよりも種をつなぐことに大きく貢献している、ということではないですか。

そして、社会を持つということは、ルールを共有するということであり、その共有されたルールのひとつに人権という理念があるのではないのですか。

社会の一員としてルールを共有している時点でLGBTも不妊の人も高齢者も人間が種をつなぐことに貢献しています。それを生産性と呼ぶなら、ゲイである俺も生産的です。

人権というルールを共有できない人こそ非社会的であり、非生産的です。

肉体的に生殖して子どもをつくることだけを生産性と呼ぶのは「人間は大自然を壊すから文明を捨てよう」と同じレベルの、単純化された極論でしか物事をとらえていない陳腐な考えであるように感じます。

しかし、このような発言が出てくるのは、これまでなかなか世の中において見えなかったLGBTというものが見えるようになり、差別を乗り越えて普通の存在として受け容れられていく過程で避けられないことなのかな、とも思います。動きには必ず反動がありますからね。

だから、俺は感情的に「お前みたいな偏向ババアが生殖して遺伝子をつなぐことのほうが、LGBTが子どもを持たないことよりはるかに害悪じゃい」とか言いません。はい、言いません。

理性的に。陳腐な考えの人だな、と思うだけです。

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