ツイッターでいろんな人がお悔やみのメッセージを書いているから何かなと思ったら、高校生の男の子が電車に身を投げて命を絶ってしまったらしい。
俺の半分の時間も生きていない子。
自殺という道を選んだこと、まわりに影響が出る方法を選んだことに批判も出ているようだけど、俺は37年生きてきて、自分の心ほどコントロールし難いものはないなと感じる。
彼の最後の行動は、彼の力ではどうにもならないものだったはず。
自分のからだをナイフで切った時に流れ出た血が、いくら頭の中でとまれとまれと思ってもとまらないように、死のうと思ってしまったこと、そのために選んだ方法、それはもう、彼の力をこえてどうにも制御できないものだったんだろう。
表に見えない出血なら意思の力でとめられるなんて、甘い。流れ出た血は、からだの血だろうと心の血だろうと自分の意思を超えていると思う。
何かが彼の心に致死量の血を流してしまう傷をつけてしまったのか。
まだ若いのに、人生これからなのに、って言うのは簡単だけれど、振り返ってみると人生、若い時のほうがつらいことが多かったと思う。
将来のため、可能性のため、と自分の好き嫌いや向き不向き関係なくいろんなことをやらされて、逃げることのできない狭い人間関係の中に閉じ込められて。
自分の選択なんて実質ない。
若い頃に向き合うやるせなさは大人より大きい気がする。
大人になった今、もちろん大変なことやつらいことはたくさんある。
でも、自分で自分がやることをある程度選べるし、逃げることができる。
会社を辞めるのは学校を辞めるよりはるかに簡単。
大人同士の人間関係を絶つのは、学校クラスの中で苦手なやつを無視するよりはるかに簡単。
子どもや学生は家を飛び出して生きてはいけないけれど、大人はたいてい生きていける。
逃げる、という選択肢がある。
もちろんそれは俺が今恵まれた境遇にいる大人だから思えることなのかもしれないけれど、若い彼には逃げられないつらさがあったんだろうな、と勝手に思っています。
彼のことを知らないのにあれこれ言うのは本当に無責任なんだけど、彼が生きていた間に幸せを感じた時間があって、彼のおかげで幸せを感じた人がいるなら、彼の人生は途中で終わってしまったのではなく、多くの人たちより短かったけれどちゃんと彼の人生を生きたのだと思います。
ご冥福をお祈りします。