ヤノベケンジさん作品「サン・チャイルド」への批判について思うこと

ヤノベケンジさんというアーティストの作品「サン・チャイルド」についてヤフーニュースなどで話題になっていますね。

「サン・チャイルド」、5年前にあいちトリエンナーレをみにいった時に展示されていたので覚えています。

この作品は、東日本大震災を受け2011年につくられたものだそうです。

ヤノベケンジさんの公式ウェブサイトではこの作品を次のように説明されています。(「http://www.yanobe.com/artworks/sunchild」より引用)
魂の喜びを謳いあげる希望のモニュメント。敢然と足を踏ん張り、前を見据えて立ち向かう高さ6.2mにおよぶ子ども像。3.11.東日本大震災を受け、「暗雲垂れこめるこの空に光差し込む入り口を開く」存在として、その手に太陽を持つ。
社会における芸術の機能への信頼と誇りとともに、再生・復興してゆく人々の心に大きな夢と勇気を与え続ける21世紀のダビデ像。また、次に来たるべき未来像として、防護服を脱いでも生きてゆける世界を希求する祈りとメッセージが込められている。

胸に付いている000と表示されたモニターは放射線量を測るガイガーカウンターをモチーフにしており、ヘルメットを取っている姿と合わせて安全な世界を表現しているそうです。

が。

今回、ここにツイッターなどで批判がおきてしまったようです。

批判の内容は「そもそも自然界にはある程度の自然放射線があるのでガイガーカウンターがゼロになることはないのに科学的にありえないものをアートだからと展示するのはいかがなものか」「逆に今の福島は防護服が必要なほど危険だという印象を与える」といったもののようです。

これを受けアーティストご本人が公式ウェブサイトで「私の作品が一部の方々に不愉快な思いをさせてしまったことについて、大変申し訳なく思っています。」と謝罪をされています。

このニュースを読んで俺はびっくらこきました。

この作品は福島のように東日本大震災とそれに続く原発事故の被害を受けた人々や社会を励ますためにつくれたものなのに、そんな批判が起きる?!と。

確かにいわれのない風評被害・・・これまでたくさんあったはず。被害の当事者の方たちはご苦労されたことと思います。

しかし、誤解・誤情報を含む報道やSNSなどでの噂、デマの拡散などでまことしやかに流される情報と、明確にアートとしてつくられたこの作品は明らかに次元が違います。

この作品はアートです。アートであることを隠さず、アートとして、アートらしくつくられたアートです。

なんとも非科学的かつ非現実的なクルクルお目目の三頭身子ども像。

科学や現実を伝えるものではないということは、一目で明らかですよね。

俺、こんなこと書いていますがアートってものが全然わからないし、興味ないし、たいていの作品について「ふーん」としか思いません。何も感じません。

でも、この作品のメッセージはとてもわかりやすい。

それなのに風評被害への心配でこの作品を批判したり否定するのってなぜなのかな。。。

これがもし、もっとリアリスティックにつくられた作品で、見る人によってはアートじゃなくて科学だと勘違いしてしまうかも、というような作風だったらわかるんですけどね。そうじゃないのにな。

誰もがドラマだとわかっているテレビ番組の中でひとを殺すシーンを描いても問題にならないのと同じじゃないですか?

以前テレビで育児だか教育だかの専門家が、絵本の中で暴力的なシーン(かちかち山の復讐シーンとか)があると子どもが影響されて暴力的な性格になるからそういう表現を避けようという風潮に対し「子どもはお話の中のことはお話の中のこととちゃんとわかって読んでいます」とコメントされていたのを聞いて「なるほど」と思いました。これも一緒じゃないですかね。

過剰に心配しなくても人々はこの作品はちゃんとアートだとわかってみますよ、と余計なお世話ですが言いたい。

過剰反応、過剰対応でみんながみんなお互いを監視し、縛り、がんじがらめで生きていく社会になっていくことのほうが怖いよ・・・。

3 Replies to “ヤノベケンジさん作品「サン・チャイルド」への批判について思うこと”

  1. 最近日本ってこういうの多くありませんか?モラル狩りみたいな行動・・・
    ヤノベケンジさんは自分が良しと思ってメッセージを込めた作品ですから、一部の反対意見があっても屈せず自分のメッセージを通してほしかったなとも感じたりします。
    戦時中、パーマネントは非国民だ~!的なことをやっていた国民性ですから結局こういうのが好きなのかもしれませんね。僕もブログでちょっと逸脱したことを載せたりすると、”こういうのって載せるべきではありません!”とコメントをもらうことがあります。みんな違ってみんないい。そういう大きな気持ちで物事を見れないのでしょうか?悲しいですよね~

    1. ヤノベケンジさんを批判する人がいてもいいとは思うんですが、一部の批判が過剰に取り上げられたり、それを恐れたりして、みんなが念のため念のためと当たり障りのない情報しか発信できない社会になっていくとしたら、怖いですよね。

      批判されるかもしれないアートはつくれなくなり、芸能人の不祥事は私生活のことでも一切許されず、テレビからはソフトエロシーンすら排除されていく社会。その反動でTWITTERのような匿名の場で攻撃性が大きく発現する社会。おそろしかー

  2. ヤノベケンジさんを批判する人がいてもいいとは思うんですが、一部の批判が過剰に取り上げられたり、それを恐れたりして、みんなが念のため念のためと当たり障りのない情報しか発信できない社会になっていくとしたら、怖いですよね。

    批判されるかもしれないアートはつくれなくなり、芸能人の不祥事は私生活のことでも一切許されず、テレビからはソフトエロシーンすら排除されていく社会。その反動でTWITTERのような匿名の場で攻撃性が大きく発現する社会。おそろしかー

遊己(ユウキ) へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA