新型肺炎COVID-19の影響でさまざまな社会活動が成約されています。
そんな中、文部科学省は今年度に限って、教育実習をせずとも、大学での実習などで代替して教員免許を発給することを可能としました。
学校側で教育実習生を受け入れられないケースが増えているため、ということです。
具体的に教育実習を代替するものは、大学での模擬授業などの実習や、各教科の指導方法や生徒指導などの講義、としています。
それに対して教育研究家・妹尾昌俊さんが書いている以下の記事がおもしろかっので紹介。
記事の中では以下3点が問題として指摘されています。
問題1 大学等での教員養成の質は高いのか?
問題2 配属後の育成は機能しているのか?
問題3 新人にいきなり学級担任を任せる、無茶ぶり
2、3については学校現場で働いたことのない俺には実感がわかないのでコメントを差し控えますが、1については思うところがあるので今回ブログに書くことにしました。ふ
俺はもともと全く教員志望ではなく、教職についたこともありませんが、一応、教育大学の教員養成課程を卒業しており、4週間の教育実習を経て小学校教諭の免許を取得しました。
教員志望ではない俺にはその実習はとてもつらく、人生最大の悪夢として記憶に残っています。
過去にブログにも書きました。
悪夢の教育実習はなんとか終えましたが、言い渡された評価はC。
D評価だと教員免許が取得できず大学が卒業できないので、本当は最低の評価をしたかったけどお情けで一個上のCをもらったのだと思います。
ちなみに、大学からの評価である卒業論文はA判定でした。
つまり、大学からは高評価、実習校からは最低評価。
それが、教員養成課程の学生としての俺でした。
そこからもわかると思いますが、大学と学校現場には温度差がありました。
大学はやはり自分たちを学問の場、高等教育の場と自負しており、多くの先生たちは学生に理論を教えたり、理論を生み出すための思考を身に着けさせようとしている、と感じました。
対して学校現場では、教育実習生に対して理論より、いかに教師として実践的に動けるかを求めているように感じました。
子どもとの接し方や教室運営の力重視ですね。
こんな温度差がある大学と学校現場。お互い、相手に対して思うとこもあるでしょう。
学生の俺が感じたそれぞれの「思うところ」はこんな感じ。
大学から学校現場に対して→「学校現場はいろいろ大変そう。でも、私たちは学者として個別の学校や個別の事例といった小さなところよりもっと大きなところを見ているから」
学校現場から大学に対して→「大学の先生たちは理論ばかりで何もわかっていない。だから学生も即戦力にならない。迷惑な人たち」
あくまで俺が受けた印象です。
もちろんそれは極論で、実際にはお互いもっと信頼し助けあっている、、、と信じたいですが。
実際に俺が実習した小学校の指導教員は、大学への不満を口にしていました。
さてさてさて。
話は戻りまして。
妹尾さんが指摘する「大学等での教員養成の質は高いのか?」という問題についてですが、俺はこの体験を通して「高くない」と思えてなりません。
いや、高等教育機関としての質は別です。
しかし「教員養成」という視点では、質は高くないと思えてしまいます。
ただ、大学側をフォローするわけではありませんが、教育現場に出ずに複数の一般企業に勤めてきた俺からすると、大学と学校現場、より社会常識が通用するのは大学です。
失礼な言い方をすると、大学のほうが「まとも」でした。
学校現場は、俺が勤めてきた一般企業の感覚や常識とはかけ離れた場所でした。
そんな特殊空間でやっていく人を育てるのは、特殊ではない大学単独では無理。というのが、俺の印象です。
COVID-19の影響で教育実習が難しい現状をうけて特例をもうけるのはいたし方ないと思いますが、せめて、大学での模擬授業や講義は、大学の先生ではなく学校現場の先生、または先生経験者にやってもらう必要があるのでは、というのが俺の結論です。
誰かを傷つけたり、誤解を招くといけないので最後に言い訳します。
このブログは俺個人の体験を通して俺個人が客観性を欠いたまま考えを書いたものです。
大学、学校、大学の先生、学校の先生、そのいずれを侮辱する意味も意図もありません。
また、誰かに影響を与えようとして書いたものでもありません。
そういう考えの人がここにひとりいる、ということだけです。俺が伝えたいのは。