銭湯でチンコ見て考える男の客体化

昨日、部屋でYouTubeをみていたら、いつのまにか昼寝してしまっていました。
夕方まで。
しかも、ヨダレたらして。。。
ベッドに入っていなかったし、エアコンが弱かったみたいで体は冷え冷え。
最近、寒いですよね。
シャワー浴びようかと思ったんだけど、うちでは湯船に入ることができないんで、せっかくだからと銭湯に行ってきました。
ちなみになぜうちで湯船に入れないかというと、安い夜間電力で給湯してタンクにためる構造なんで、あまり湯を使うと水しかでなくなるからなんです。。。不便。
銭湯でひとっぷろ。気持ちいー!
そして、それからは畳敷きの休憩室で読書タイムです。
銭湯の休憩室や、ショッピングモールのフードコートなど、適度に騒がしいところで読書するの好きなんです。
至福のひととき。
が!
その畳敷きの休憩室で、本を読んでいる俺のすぐ横に一人のオヤジが横になりました。
く、くさい!足がくさいっ!
やめてくれーーー。読書に集中できない!
しかも、突き出した毛深い腹は半分見えてるし。
ここでふと、周りを見渡すと、他のオヤジたちも同じような感じ。
特に腹を出してるオヤジ率が高い。
オヤジたちよ、周りをもっと見ておくれ!
あなたがくさい足をあえて俺の頭のほうに突き出すから、俺はますますもって集中力が散るのや。
そこを見てごらんや。
若い男の子たちは、風呂上がりでも総じて小綺麗にしてるし、誰も腹出してないやろ?
なのに、あなたたちは。。。
ここで俺の中に、このオヤジたちへのアンチテーゼになってやりたいという感情がわきました。
無理なことはわかっているけど、イケメンに生まれ変わって、エロいカラダを作って、20代のうちから自分の顔と体を最大限活用して稼ぐ!
それは、ホストのような水商売でもいいし、会社員として働きながら出世のために表では顔を裏では体を使う、というかたちでもいい。
その時、俺は自分が周りに見られる存在であることを当たり前のように理解し、より良く見られるために努力し、それを武器に稼いでいる。
つまり、意識的かつ戦略的客体(「見る側」である主体に対する「見られる側」としての客体)。
ま、それは、イケメンではなくすでに三十路になった俺の妄想なんだけど。
俺にそんな感情をわき起こらせるほど、そこにいたオヤジたちはひどかった。
つまり、客体としての認識が全くないわけですね。
実際は人間は、世界を見ると同時に世界から見られる存在なわけだけど。
ここで俺、ふと気になることがあってもう一度浴場に向かいました。
オヤジから逃げたわけじゃないよ。
2時間ぐらいは、その環境に耐えて読書したから。笑
いえ、何が気になったかって。
オヤジと若者、タオルでチンコを隠しているのはどちらが多いかなーって。
オヤジがあれだけ周りの目に無自覚なら、きっとオヤジはチンコ丸出しで、若者はチンコを隠しているはず。
それを確かめたかったのです。
さて、結果は。
まぁ、ほとんどの男は下半身を隠していないです。
が!たまにタオルを押し当てて隠しているのは、オヤジ!
オヤジばかり!
若者はほとんどみんな、チンコ丸出しなのです!
な、なぜだー?!
いや、俺、ゲイなんでね。目の保養って意味では若いイケメンの体が隠さず見れるのはうれしいんですよ!笑
ただ、俺の推論に反するこの結果はいったい何なんだ!
湯船で考えました。
最近の若い男の子は、絶対に、自分が客体になり得ることを理解しているはず。
人から見られることを意識している。
さっきの休憩室だけ見てもそれはわかるし、脱衣所にいけば、オヤジに比べ男の子が、パンツやアンダーシャツにまで人に見られてもいいものを着ている、つまり見られることを意識していることがわかる。
では、なぜ君たちはチンコを隠さないのだ。
ん?いま我が身に振り返って考えると、そういえば俺もチンコを隠さない。
なぜだ?
俺は、一応自分が客体でもあることをすごく理解しているぞ。
それだからこそ、不眠症やら過食症やら、心の病にかかってしまうほどに。(最近はかなり症状おさまってますが)
俺はゲイであり、主体であり客体であるから、裸の男を見て楽しんでいる(セクハラ!)と同時に、他の男から欲情されたいという感情も持っている。
別に銭湯で誰かに声かけられてゆきずりのセックスがしたいわけではないけど、誰かに「こいつとセックスがしたい」と思われることに価値を感じる。
それは、パートナーがいる時でもいない時でも関係なく、昔から一貫して持っている感覚。
でも、俺がチンコを隠さないのは、決して「俺のチンコを見て、欲情してくれ!」と思っているわけではない。
違う。
ストレートの男たちにそんなアピールは無意味なことは理解しているし、ハッテン場とかゲイの前で裸になる場所にも今のところ行ったことないし。
あ、昔一度だけ友達に連れられて大阪で行ったことあるか。学生の頃。
でも、雰囲気に萎縮して、隠れておとなしーく座ってたな。もちろん誰ともセックスなし。
俺が銭湯でチンコを隠さないのは、どこか「チンコを隠すのは恥ずかしい」って感覚があるからだ。
チンコを隠すのは、男として恥ずかしい、という感覚。
チンコの肉体的恥ずかしさより、チンコを隠すことの精神的な恥ずかしさが上まわっているわけですね。
なんてバカらしい!
ゲイであり、こんなにいわゆる「男らしさ」からほど遠いのに、それでも無意識に男らしさを体現しようとしていたなんて。
たぶん、ここにいる、チンコを隠さない男の子たちもそうじゃないのかな。
自分が客体であることを意識しているがゆえに、「チンコを隠す男らしくない男」と見られることを避けている。
皮肉として言いますが、男らしくないゆえに男らしさにこだわることになってしまったのやね。
この考察は、昨日ふと自分の肌感覚を通じて思いついたことだし、銭湯のデータもほんのわずかな人たちしか見ていないので、客観性は全然ないと思います。
ただ、自分の中でそんなことに気づいたので、書き留めておこうと思った次第です。
反論でも共感でも、コメントやメッセージいただけると嬉しいです。
最近、友人や読書やTwitterから刺激を受けてるんで、なんかこんなブログが増えてます。笑

2 Replies to “銭湯でチンコ見て考える男の客体化”

  1. 男の人って、お風呂でおちんちん隠すんですか。
    それすら知らなんだ。
    思春期の子なら、まあ、そんなこともあるかもなとは思いますけど。
    男同士じゃないですか。
    女湯で胸やらあそこを隠す女性はいないなぁ。

  2. > なおぼんさん
    コメントありがとうございます。
    隠している人は隠していますね。書いた通り、みんなじゃないけど。
    女の人で隠している人はいないですか??

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