リアルゲイが腐女子とBLを考える

これはリアルゲイである俺が、コメダでミルクシェーキを飲みながら、モーニングのバタートースト食いつつ、BLと、それを愛する腐女子について考察してみるブログです。
現在、朝11時。モーニング間に合ってよかった。
ところで、ゲイはなんで、女っぽくなるんだろうね。
もちろん全ての人にあたはまるわけではないけど、女言葉を使ったり、しぐさが女性っぽくなるゲイが多いのは事実。
「ネコ」と呼ばれる、SEXで挿入される側、男女のSEXで言うと女性役をするゲイにその傾向が強いような。
ゲイの世界だと挿入する人、される人は「タチ、ネコ」ですがボーイズラブ(BL)の世界だと「攻め、ウケ」ですか。
BLはそれを愛する「腐女子」という言葉とともにすっかりメジャーになりましたね。
たいていの本屋ではBL専用コーナーがあり、ブックオフなどでも大々的に取り扱われています。
俺は中学生か高校生の頃、好きだった封神演義というマンガの同人誌におけるヤオイストーリーで、初めていわゆるBLの世界に出会いました。
黄天化がウケ、楊ゼンが攻めだったかなぁw
あ、封神演義読んだ人にしかわからないですね。
当時はまだ自分がゲイであることを自覚しているかしていないか、というような時期ですよ。
その頃は、男同士のSEXマンガといえばメジャーな作品の世界観を借りたヤオイがメインで、一般社会ではまだまだマイナー。
オタク文化というサブカルチャーの中の、サブジャンルの1つだったと思います。
それがいまや、BLはオリジナルストーリーで本屋の棚を大きく占めるメジャー分野。
もはやサブカルチャーとすら言えないでしょう。
なぜ、BLがこれほどに女子に支持され、成長したのでしょうか。
2つの仮説をたててみたいと思います。
仮説1「現実を投影できるから」
仮説2「現実を投影しないから」
まず仮説1について。
腐女子たちは、BLを離れ現実社会では男性と恋愛やSEXをする、あるいは、する可能性のある女性です。
そして、キレイな恋愛ドラマ、ロマンティックストーリーに自己を投影してウットリしたい。
しかし、多くの女性は自分で自分を見つめ、判断する「自己審判の目」を頭の中に持っています。
つまり、美女と美男のロマンティックストーリーをみても、頭の中で「でも、私はブスだから、こんな恋愛は我が身にはあり得ない」というツッコミが入る。
現実にブスじゃなくても、常に自己審判の目が「私ってブスじゃない?デブじゃない?」と問い続け、監視しているのです。
そこで、「ブスかもしれない私」でも自己投影しやすいストーリーとして、BLが目を付けられた、というのがこの仮説。
ウケ役が男であり自分と程遠いがゆえに、あえて自己審判の目に邪魔されず自己投影できる、という構図。
つまり、BLを読む時、その女子はウケ役の男の子に自分を投影し、攻め役のイケメンを見ながら「あぁ、私もこんなイケメンに甘くささやかれたいなぁ」とウットリしているのです。
はい、これが仮説1。
次は、仮説2。
これは逆に、「BLは現実を投影しないから」。
女性はどこか、男性に恐怖、自分が傷つけられるリスクを感じているのではないでしょうか。
男は女をレイプする。
男は女より強い。
男は女から搾取する。
本気になったら女は男に逆らえない。
そんな恐怖。
だから、ドラマなどで男が女をレイプするシーンなんかを見てしまうと、自分がレイプされたように感じ、強い恐怖と不快感を感じる。
そこで、物語の中で強い男がどんなに強引にキスを迫っても、SEXを強いても自分には関係がない、恐怖を感じない男同士のSEX、BLが成長していった、というのが仮説2です。
では、リアルに男同士で恋愛やSEXをしているゲイはBLを支持しているのでしょうか?
支持している人もいるでしょう。
しかし多数派かというと、俺は疑問。
少なくとも俺は、BLにさほど興味がありません。
単純にゲイアダルト動画のような、より刺激的なメディアが手に入るからマンガが必要ない、というわけではありませんよ。
それもまぁあるにはあるのですが、一方で「男女のドラマのように、ロマンティックな男同士の恋愛ストーリーを見たい」とも思っているのです。
しかし、BLは対象にならない。
エロの対象にもウットリの対象にもならない。
なぜって、俺の知る限りリアルな男同士の恋愛とSEXは、BLのように「男と男」ではなく「男と女のような男」の関係性であるからです。
BLの世界のウケは、あまり女言葉を使いません。
女性的ではありません。
いわゆる普通の男の子、ですよね。
それが何かの間違いで男と関係を持つ、というのが王道ストーリー。
しかし、リアルゲイでは、ネコ(ウケ)はどこか女性的なことが多い。
女性的な仕草や女言葉。
「男が好きな男」であり「女になりたい男」ではない場合でも、女性らしさを自分に取り入れてしまうのです。
それは、男と女の恋愛、SEXが当たり前とされてきた社会(ヘテロセクシズム、という言葉で合っていますか?)で、「男とSEXするのは女らしい人間」という誤解を無意識に内面化してしまっているからです。
「男らしさ」と「男らしさ」はSEXできない、という誤解が無意識に心の中に刷り込まれているのです。
BLの中では「男らしい攻め」と「男らしいウケ」がSEXしていますが。
もし、BLカルチャーとゲイカルチャーが近づき、BLに描かれるのがリアルゲイになったら、それはつまりある意味でこれまで「男らしさ」と「男らしさ」の物語であったものが、「男らしさ」と「女らしさ」の物語になってしまうリスクをはらんでおり、そうなってしまえばもはや腐女子はBLに今のような魅力を感じなくなるでしょう。
上の仮説1が正しいとすれば、物語の中でウケの男の子が女らしくなれば、しょせんそれは胸がなくチンコがついているだけで、女性の代用物であることになり、「この子は顔もかわいらしいし、美形だからこんな恋愛もできるけど、私はブスだから」と、共感を失う結論になりかねません。
仮説2が正しいとすれば、女らしい男の子が男らしい男性に搾取される姿に、自己を投影して恐怖と不快感を覚えるようになるでしょう。
いずれにせよ、BLはリアルゲイの世界を描いてはいけないのです。
ゲイカルチャーとBLカルチャーは、これからも別々の道で成長していけばいいと思います。
だから俺は、今日もBLは読みません。
余談。
このブログ、コメダでミルクシェーキを頼んだ瞬間になぜか「リアルゲイから腐女子へのメッセージ」というブログのタイトルだけが頭に浮かんだので、暇つぶしがてらミルクシェーキを飲みつつ書き始めたのですが、いつの間にかゲイと腐女子を切り離すような結論になってしまい「リアルゲイから腐女子へのメッセージ」というタイトルが使えなくなってしまいました。
結果、「リアルゲイが腐女子とBLを考える」という平凡なタイトルに。
結論なく思いつきで書き進めていくとこういうことになりますね。。。

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2 Replies to “リアルゲイが腐女子とBLを考える”

  1. 記事の内容、とても楽しく読ませて頂きました。
    遊己さんの考察について、「女っぽい男がウケのBL」について自分なりにまた考えてみたのですが、
    一昔前、90年代あたりのBLは女っぽい受けが本流であった印象があります。
    元々少年愛という名前がついた経緯も、女性らしい美人な男子が対象であったことから来ていますし、可愛く小さくか弱いキャラは満場一致で受けであると言う考えであったと思うので(いわゆる王道)、むしろリアルゲイと同じ思考であったのかなぁと思いました。
    現在のBLは形態が多様化していて、キャラ属性が攻め受けに影響しないのも大きな特徴だと言えます。
    それは、草食男子、オトメン、男前女子、キャリアウーマンなど、男女のジェンダーが取り払われつつある社会の流れも関わっているのではないかと思います。
    ゲイの方は相手の性別に関わらず、本能的に「メス」を求める思考に対して、腐女子は自分が女の立場である際に受けたい攻めと、自分が男の立場である際に攻めたい受けを考えて、その組み合わせでBLを成立させているのではないかという結論に至りました。この考えから推測すると、腐女子の方はほとんどバイに対して共感できる方であるとも言えるかもしれません。
    話は逸れましたが、様は腐女子は受けが女らしくても、本人が好きなキャラ(攻めたいキャラ)だったらむしろ大歓迎であると言うことです。
    これは一意見であるため、そんな子もいるのだと思って頂ければ幸いです。
    長文、失礼致しました。

  2. 度々失礼します。
    もう一つ気になったことがあったので、話をさせて頂きたいのですが、
    遊己さんの考察
    リアルゲイ:男性×女っぽい男性
    腐女子のBLイメージ:男らしい男性×男らしい男性
    腐女子の一般的な考察
    リアルゲイイメージ:男らしい男性×男らしい男性
    腐女子考えるBL王道:俺様、鬼畜、男らしい男性攻め×美人、ヘタレ、可愛い、小さい受け
    という感じなのですが、そこも考え方が違う点かなぁと。
    イメージと事実は違うのも面白いですよね。

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